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2016年2月 5日 (金)

ドリフターズトリビア・いかりや長介編

日本お笑い史に多大な功績を残しているグループといえばドリフターズが挙げられます。
かつては『8時だヨ!全員集合』(TBS系)と『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)の二大冠番組を持ち、お茶の間から絶大な支持を受けました。近年は完全に個々の活動にシフトしていますが、その功績は現在も燦然と輝いています。
歴史があるグループだけに様々なエピソード・トリビアが語り継がれています。今回はリーダーのいかりや長介さんのトリビアを紹介していきます。

①長さんは静岡県出身?

一部では長さんの出身地が静岡県となっていることがありますが、彼は生粋の江戸っ子、東京出身です。
では、なぜ静岡県が出身地となっているかというと、戦時中に東京から静岡に疎開しているからです。ご両親も江戸っ子ですが、疎開を機に静岡に完全移住したのです。つまりご実家は静岡にあったわけで、それがいつのまにやら「出身地=静岡」という図式になってしまったのです。

②音楽家を目指した理由
長さんは社会人になったあとにバンドを始めました。その理由は単純に「女にもてたいから」だったそうです。
事実、バンドを始めたのをきっかけで最初の夫人と出会っています。

③チョッパー奏法の元祖?
長さんが演奏していた楽器はベース。ベースと言えばチョッパー奏法が定番となっていますが、これを最初に始めたのは長さんだという都市伝説があります。
しかし、これは誤りで、本人自身が否定しています。長さんがベースを始めた時には、すでにチョッパー奏法はベーシストの中で定着しておりました。
ただ、エレキベースを最初に演奏した日本人であるということは間違いないようです。

④三人の妻
長さんは生涯、三人の女性と所帯を持っています。一人目は②の項に記した静岡時代に知り合った女性で、後に上京して正式に結婚。一男一女をもうけました。最初は夫人に養ってもらう状態でしたが、徐々に長さんの収入がアップし、立場は逆転。それで夫人は心の張りをなくしたのか精神病になってしまい、やむなく別居・離婚となったのです(後に若くして亡くなったとのこと)。
二人目は、最初の夫人と別居中に付き合い始めました。いわば不倫の関係であり、このことが一部のメディアに「愛人発覚」などと取り上げられました。最初の夫人と正式に離婚後に入籍し、晴れて夫人となったのですが、やはりこちらも難病に取りつかれ、自ら命を絶ってしまったのです。このことは長さんに相当大きなショックを与えたそうです。
三人目はもともと旧友の仲だった女性で、長さんと同じく配偶者に先立たれていた共通点があり、意気投合して夫婦となったとか。ただ、お互いに子供がいたためか、入籍はしておらず、事実婚の状態でした。闘病中の長さんを献身的に支えましたが、その甲斐なく長さんは天国に逝かれました。
前述したように三番目の妻は入籍していなかったため、財産分与の権利がなかったのですが、長さんの息子は長さんの死後にいくらかのお金を渡したそうです。要は親父の面倒を看てくれた感謝の印ということでしょう。

⑤息子・浩一さん
長さんの息子であるいかりや浩一さんは、長さんの死後に一冊の本を出版しています。『親父の遺言』(文庫版は『いかりや長介という生き方』)です。ここでは、生前紹介されることがなかった長さんのプライベートが淡々と綴られています。
浩一さんは現在、ドリフターズ事務所の社長を務められています。そのかたわら、講演活動もされているとのことで、一度聞いてみたいですねぇ。

以上、まとまりのない文章でしたが、長さんトリビアを紹介しました。もっと知りたい方は↓をお読みください。

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