日記・コラム・つぶやき

2018年11月 4日 (日)

回想:某研究所の問題児

新しい回想シリーズです。
今回は数年前まで働いていた某研究所の問題児・Aのことを回想します。

このAという人物は、誰もが知っている超名門大学の出身です。学歴は申し分ないですが、肝心の仕事は全くできない。そのために、数多くの部署をたらいまわしにされた後、私が働いている研究所に配属されました。
配属当初は外部の人とやり取りをする仕事に従事していましたが、ある時上司に確認をしてもらう必要のある資料を、勝手に外部に送付してしまった失態を犯しました。これが発端で上司の評価は最低のものになり、荷物運びなど内部だけでできる仕事に回されました。それらの仕事はとても高学歴の人間がやるような仕事ではありませんので、そのことにかなり不満を持っていたようです。
後にそれらの仕事を回避すべく、何と仮病を使うという驚くべき行動に出ます。手が痛くて、荷物運びができないので、周囲に代わってほしいと頼んできました。これにより、私も代わりに力仕事をやらされました。当人は全くそのことに感謝の念がなかったです。
手の痛みは半年以上訴えていました。わざわざサポーターまでしていましたが、治療している様子は全然なかったです。他にインフルエンザが流行する時期は、必ずそれを理由に休んでましたね。これも仮病でしょう。
思えば、Aはいつも体調不良をアピールしてましたね。それが周囲から反感を買っていたのですが、本人は一切気づいていませんでした。

仕事で自分をアピールできないからか、仕事以外の部分に力を入れていました。
その一例としてホワイトデーがあります。この研究所ではバレンタインデーの際に女性陣から男性陣へチョコレートが贈られます。そのお返しをホワイトデーの時にするのですが、Aは「ぜひ自分にやらせてほしい」と言ってきました。

当初は一人あたり500円の負担でしたが、Aが担当したことにより、1000円に値上がりしました。その理由は「女性陣からいいチョコをもらったので、こちらもそれ相応のチョコを返さないといけないから」というものでしたが、Aが名乗り出なければ500円で済んだのに…と釈然としない思いでした。セコい話ですけどcoldsweats01
今となってはどんなチョコを返したのか覚えていませんが、女性陣からの反応は今一つだったような…。というより、Aは特に女性陣から嫌われてましたので(ある女性にいたっては、Aのせいで皮膚病を発症したぐらい)、女性陣からしてみれば、こいつにもらっても嬉しくないという感じだったのではないでしょうか。

研究所は数年前に閉鎖されました。私も同時にその研究所を離れ、今の職場に異動しました。
Aの異動先は、Aを知っている人が誰もいない研究所でした。その理由は知ってる人がいる研究所ではAを受け入れてくれなかったからです。それぐらい問題児だったという証拠です。
もっとも異動先でも、仕事ができないことが露呈してしまい、強制的に休職となりました。そして、遂に退社に追い込まれたのです。もちろんそれは研究所にとっていいことであったのは間違いないですがsmile明らかに給料泥棒でしたからね。
今は何をしているのでしょうか。一応妻子持ちなので、何かしら仕事をしているとは思いますが、転職先でも仕事ができないことが露呈して追い詰められてる可能性が高いですね。

Aに出会ったことにより、学歴と仕事のできるできないは比例しないということがよくわかりました。もちろん学歴があることはいいことだけど、それだけでは社会人として生きていけないのです。
申し訳ないですが、Aの学歴は少なくともその研究所では無意味でした。どう考えても、学歴が活かされてなかったです。

社会人になって16年経ち、問題児を数多く見てきましたが、Aが断トツで1位ですね。これはAに関わった人たちはみな同じ思いなのではないでしょうか。

余談ですが、この回想シリーズ、常に長文ですねsweat01それぐらいネタがあって、長くなってしまうんです。ご了承ください。

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2018年10月23日 (火)

最初の会社時代の回想:その②同期の社員

最初の会社(以下、B社)時代を振り返る回想第2弾です。今回、回想するのは同期の社員だったSです。

このSという人物、とにかく皮肉屋でしたね。まず人を褒めないし、悪口ばかり。私も散々言われました。私が卒業した専門学校を面と向かって馬鹿にされたことがあります。その理由は「教師が生徒に手を出した」なのですが、「そんなくだらないことで馬鹿にされても…」と呆れるばかりでした。
対するSは、北海道内でもっとも実績のある専門学校出身ですが、当人自身に実績は全くなし。特に資格は取ってないし、突出する技術もない。そもそも、ITの専門学校に通い、ITの企業に就職していながら、ITには全く興味がなかったです。なんせ「どのプログラミング言語もやりたくない」と言うぐらいですから。パソコンや携帯も所持していませんでした。これらのことを知った誰もが「じゃあ、何でこの業界に来たんだ?」と思うでしょうね。

入社して最初の出向先が同じだったことから、研修生時代からSとは接する機会が多かったですが、イヤな思いばかりさせられました。
北海道から上京して、最初に住んだアパートにSも住んでいたのですが、なんとそこでピンポンダッシュをしてきたのです。もう二十歳の大人がピンポンダッシュをするなんてまず考えられませんが、Sは平気でそれをしてきたのです。しかも、その時の奴の服装はスーツです。確かその日は平日で、仕事を終えて帰宅してきてからやったのでしょうが、お笑い芸人でもやらないことですよね、これは。

他に奴にされたことは、「上京初日、会社の営業と共にアパートへ移動した際、電車の中で他の同期の社員たちと聞こえよがしに悪口を言ってきた」、「出向先における帰宅時間に"お前は早く帰りすぎだ"とケチをつけてきた」などなど。
そんなSの言動・行動で一番呆れたのはSの隣に住む同期の社員の部屋から聞こえる声がうるさいと言っていたことですね。実は同期の社員には女子が2名いたのですが、そのうちの1名が同期の男子と交際していたのです。2人とも同じアパートに住んでいました。で、そのどちらかがSの隣の部屋に住んでいたんですね。
男女が交際すれば、当然夜の営みがあるわけですが、その時の声や音がうるさいとSは言っていました。こちらから言わせれば「いい年してピンポンダッシュしてくる奴(Sのこと)の方がよっぽどうるさいわ!」という感じでしたけどね。

ちなみに上京時に最初に住んだアパートは2階建て18棟全てが同期の社員でした。完全に"寮"でしたね。
そのアパートを最初に退出したのは私でした。上京から二ヵ月後に大阪に引越したからです。
おそらく退出時もSからは色々陰口を叩かれたでしょうが、このおかげで奴と離れられたわけですから、とても良い結果となったのは言うまでもないです。

これ以降、Sとは一切遭遇していません。まぁ、今更会いたいとも思いませんしね。
もう同期の社員の大半はB社を退社しているでしょうが、Sは今も在籍してるんじゃないかな?
ある意味、ブラック企業・B社にふさわしい人材かも?

他にもB社には印象に残る社員が多数居ましたが、Sが断トツ1位ですね。散々嫌がらせをされたからですけどcoldsweats01

次回の回想は、B社時代を一旦止めて、数年前まで働いていたとある研究所の問題児2名について振り返りたいと思います。2名とも超問題児だったので、ネタにしやすいんですsmile

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2018年10月18日 (木)

入社前研修の強制は違法ということは…

先週、執筆した最初の会社(以下、B社)の回想記事にて、「B社では入社前研修があった。問題ばかりの研修であった」と書きました。
今も思い出すたびに腸が煮えくり返る思いなのですが、こんなニュース記事を発見して、「やっぱりあれは労働基準法違法だったんだね」と思いましたね。

入社前のタダ働き?「内定者研修」に不満の声 参加強制に問題はないのか
https://www.bengo4.com/c_5/n_8696/

私が実際に経験したB社の研修は、異様に長い研修期間(半年以上)、気休めでしかない交通費支給(1日わずか220円)、研修施設・研修講師が備わっているのに自己学習ばっかり、講師の人間性が最低最悪と、デメリットばかりでメリットが全くない研修でした。
上記の記事にて「研修の参加にはあくまで同意が必要で、参加の強制はできない」と書かれています。私の場合、内定後にB社から「すぐ研修に参加するように」と指示されてますので、明らかに強制です。しかも、最初は一週間のうち参加は数日かつ数時間のみだったのが、入社三ヶ月前になると「毎日参加かつ朝から晩まで」となりましたので、これも違法であったと言えます。
B社側からしてみれば、「あくまで研修であって、労働ではない」という姿勢でしょうね。更には社員の同意なんか取ってないのに、「取っている」と平気で嘘をつくであろうことも容易に想像できますね。

あーあ、今このことを知っていれば、地獄の研修を回避できたのにpunch
本当、あの研修期間はこれまでの人生の中でもっとも時間とお金を無駄にした期間と思っています。
B社に今からでも遅くないから、研修期間中の給与と交通費支払え!って言いたいですね。まぁ、支払われる可能性はないですがcoldsweats01

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2018年10月14日 (日)

初めて行った理容プラージュ

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昨日、大阪エヴェッサの試合観戦の前に行った理容プラージュ我孫子店(大阪市住吉区)。
プラージュは全国にチェーン展開している理容室です。当然、大阪にも複数の店舗があるわけですが、これまで行ったことがありませんでした。

今回初めて行ってきました。ちょうど理容室に行かなければならない時期と、我孫子周辺に行く時期が重なり、この機会にと思い、行ってきたのです。もともと以前からプラージュには興味がありましたので。
プラージュも多くの理容チェーン同様、低価格かつ仕上げが丁寧・早いが売り文句ですが、その売り文句通りでした。30分足らずで調髪(カットおよび顔剃り)とシャンプーが終わりました。
調髪とシャンプーは別料金で、本来ならば合計1944円ですが、シャンプーはクーポン券利用で無料になったので1620円で済みました。この料金ならば、先月まで行っていた理容チェーンより安いことになるので、来月もプラージュにしようかと考えています。

先に書いたように、プラージュは我孫子店以外にも大阪府内に店舗が存在します。
次に行くとしたら、普段よく足を運んでいる難波・千日前周辺に近い道頓堀店ですね。ここなら、我孫子店より行きやすいですhappy01

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2018年10月 8日 (月)

最初の会社時代の回想:その①入社前研修

過去を振り返る回想シリーズの新連載(?)です。
前回の記事に書いたように、最初の会社(以下、B社)のことを振り返ります。

B社というのは、はっきり言ってブラック企業です。地方から技術者を沢山雇い入れて、都市部で働かせる。昭和の高度経済成長期には地方から都市部へ沢山の人たちが働きに出る、いわゆる「集団就職」がありましたが、それの"平成版"と言えるかもしれません。
そもそも私はB社に入る気はありませんでした。B社は入社したら東京に行かなければならないと聞いており、私自身は北海道内での就職を希望していたので、試験を受ける気は全くありませんでした。
しかし、道内で働ける企業の入社試験は全て不合格…。「このままじゃどこにも就職できない」と藁にもすがる思いで入社試験を受けたのがB社でした。ようやくB社から内定を貰い、就職活動から抜け出せたのですが、すぐに地獄が始まりましたね。
最初の地獄は入社前研修でした。内定から二週間後ぐらいに研修が始まったと記憶しています。この研修、結論から言うと、入社後の実仕事には全く役立ってません。というか、研修施設があり、研修講師がいるにも関わらず、自己学習ばっかりで講習は全くなかったのです。
カリキュラムはコンピュータの基礎から始まりました。その後、インフラ系(MS-DOS、ネットワークなど)、開発系(C言語、Javaなど)へと移っていきましたが、講習はなし。分からないところがあれば、講師に聞くことができますが、この講師が曲者でまともな回答をしないんです。
講師の回答は決まって、「そんなことも知らないのか」、「学校で習わなかったのか」です。というより、B社は「知識がなくても研修で習得できる」を売り文句にしています。講師たちの回答は明らかにその売り文句と矛盾しているのですが…。
要は講師たちは技術者を育てるどころか、ただ小馬鹿にして喜んでるだけだったのです。ある技術者にいたっては「お前はすぐに会社を辞めそうだな」、「お前が辞めても、会社はどうってことない」など、侮辱罪に該当しそうな言葉をぶつけられていました。
当然のことながら、技術者たちからの評判は最悪でしたね。入社を待たずして辞めた技術者が数名居ますが、間違いなく講師が原因でしょう。

研修期間中は交通費が支給されますが、支給額は1日220円でした。これを読んだ人は一瞬「書き間違いじゃないか?」と思うかもしれませんが、本当に220円しか支給されません。到底、交通費に満たない金額です。よくて地下鉄の片道分の料金になるぐらいの額でした。
この交通費で連日研修に行かなければなりません。最初の頃は、学校の放課後の時間帯から行われていたので、研修の時間は午後5時から8時ぐらいまででしたが、最後の方は「研修に専念するべき」との方針から学校に行かず、研修に毎日参加し、午前10時から午後10時まで拘束されました。それでいて、ほとんど自己学習。「こんなの研修になるかよ」と誰もが思ったのではないでしょうか。

当時、この研修にかなり悩んだものです。今となっては、さっさと見切りをつけて別の道を歩むべきだったと思いますが(実際、親からは「別の会社行った方がいいんじゃないか?」と勧められていました)、先に書いたように就職試験に大変苦労した経緯から、ここをやめたら行くところがないとの思いから必死で食らいついていたんですね。

B社時代は地獄の連続でしたけど、一番地獄だったのは入社前研修です。なんせ、こんなのが半年以上も続いたのですから。
研修が終わった時は心底ホッとしたものです。ひとまず研修講師とはサヨナラできましたからね。なお、講師たちとは研修が終わった後は一切遭遇していません。講師は2名いましたが、いずれもすでに講師ではなくなっているし、うち1名はB社を退社しています(もう1名も退社してるかも?)。
この2名が講師だった頃に研修を受講した技術者は、ほぼ確実に奴らの存在を覚えているでしょう。絶対忘れられませんからね、こんな最低最悪な奴らは…。
もう一つ、忘れられない講師の暴言があり、それは「本当はお前らなんかに交通費を支給する必要はない」です。本当に技術者を人間扱いしてないんですよね。逆の立場だったら、そんなこと言えるのでしょうか。

講師からひどい仕打ちを受けた一方で、とてもいい反面教師に出会えたとも言えます。まさに「こんな人間になってはいけない」という見本でしたから。

現在もB社は入社前研修を実施していますが、今はどんな人物が講師をやっているのでしょうか。少なくとも今の講師は、私が接した講師よりマシだと思いたいです。そうでなければ、今研修を受けている技術者たちが気の毒すぎるのでcoldsweats01

次回は同期の社員たちについて回想します。ほとんどがまともな社員でしたが、一部は…(以降は自粛smile)

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2018年9月28日 (金)

回想:某生命保険で働いていた頃②

某生命保険(以下、A生命)系列のIT企業で働いていた頃の回想第2弾です。
今回は出向先のA生命ではなく、その時の自社であるB社のこと(というより、直属の上司であるC)を書きます。

この上司ですが、とにかく客先に媚ばっかり売ってましたね。客先が望んでないのに、さも望んでいるかのように振る舞い、その都度技術者たちを犠牲にしていました。
Cとの確執はA生命との面談時から始まってました。前回の回想で書いたA生命のスポーツバカのマネージャーが「今は宝塚(兵庫県宝塚市)に住んでるんですね」と言ったところ、即座にCは「引越しさせます」と返答しました。断っておきますが、宝塚からでもA生命の現場には十分通勤できます。なのに、CはまるでA生命が近くに引越してきてほしいと言ってきたんだとばかりに即答したんですね。そのために、私は住居も周囲の環境も気に入っていた宝塚を離れることになったのです。
この引越しの際もひと悶着ありました。Cはすぐに引越しさせたいと思っていて、A生命の前の職場(前々回までの回想の舞台である神戸です)の最終勤務日の翌日に引越しするよう指示してきました。夜勤を3回連続した翌日に引越しを行い、更にその翌日からA生命で働くのです。つまり休みが全くないのです。
さすがにこの指示は拒否しました。休みが全くないまま、次の職場には行けないと思ったので。引越し自体は業者がやってくれますが、引越しの時間帯は指定できないとされていました。その理由は「時間帯を指定するとその分引越し代が高くなるから」です(一応引っ越し代はB社負担)。こういうところでも社員にお金をかけないB社の体質が露呈してましたね。私は朝方に業者が来たので、その日のうちに何とか片付きましたが、ある社員は夕方に来たため、全く片付かなかったとか。おまけにその翌日は朝から勤務です。どんだけ社員を休ませたくないんだと言いたくなる様な仕打ちですね。
引越し先は結構不便なところでした。なんせ最寄り駅から徒歩15分もかかるのです。後で知ったのですが、駅からもっと近いところに同じ系列のアパートがいくつかありました。それなのに、なぜ遠いところを指定してきたかというと、そこが即入居可能だったからです。Cからしてみれば、「技術者の住居なんて、客先に近いところならばどこでもいい。俺が住むわけじゃないから」という意識だったのでしょうね。

引越しを終えた後に役所への転入届を出したのですが、これを巡って、またもCとひと悶着がありました。
今でこそ土日も役所が開いている時代ですが、当時は平日しか開いてませんでした。となると、有給休暇を取って届けに行くことになるのですが、Cは有休取得に猛反対。その理由は「まだ配属したばかりなのに休むなんてありえない。A生命に大迷惑がかかる」というものでした。
確かにその通りだけど、引越ししたからこそ転入届を出す必要があるのです。引越しを指示(というよりほぼ半強制ですが…)しておいて、その言い草はないだろうというのが本音でした。そういう事態になることを想定していないのが問題でしょうに。
結局、役所への届出はCが代理でやりました。個人情報を他人に見られるわけですから、いい気分ではありません。何よりそこまでして、A生命に媚を売りたいのかと呆れました。いや、それ以前に「役所に行けるぐらい、お前は暇なのか?」という感じでしたが。
余談ですが、B社時代、給料明細が毎月自宅に郵送されてきました。で、引越しした最初の月は明細が届かない。要は上司の怠慢(社員が引越したことを経理部門に伝えてない)が原因でした。
Cにこの点を抗議したところ、「郵便局に転送届け出してないのか?」とこちらに責任転嫁してきました。今だったら、「引越しを指示したのはお前なんだから、お前が悪いんだろうが!」とキレてたかもしれません。

話を元に戻します。ようやくA生命での勤務が始まると、今度は「一日も早く確認者になれ」と指示されました。前回の回想で書いたようにA生命での業務は、作業者・確認者の2人1組で行われます。最初は作業者から始まり、徐々にキャリアを重ねて確認者になるのですが、確認者となるには最低1年半はかかるのです。
そのことを伝えても、毎回同じ指示をしてきました。挙句の果てには「他の人の仕事を奪ってもいいから」とか、「残業をいっぱいすればいい」などと、とんでもないことを言い出す始末でした。

そして、極めつけはA生命を戦力外通告された時です。あえて実際のセリフは書きませんが、一方的にこちらを糾弾し、A生命以前のキャリアも否定してきたのです。A生命時代を否定されるのはまだしも、それ以前のキャリアまで否定されるのは納得いきませんでした。
この時のセリフがB社を退社するきっかけとなりました。

退社することを伝えた時のセリフも凄かったです。一方的にこちらが精神的な病に罹ったと決めつけたうえ、休職を勧められました。その後に強調するかのように休職中は無給だと付け加えてきました。
このセリフを聞いた時、「もうこいつの下では働けない」と思いました。実は退社すると言った時点で、まだ退社することへの迷いがあったのです。しかし、このセリフを聞いた時に、「絶対退社するべきだ」と心が決まりましたね。

退社後、Cと遭遇したことは一度もありませんが、後に出世してB社の関西支店のトップとなっていることを知りました。このことを知った時、「ああ、やっぱり退社して正解だったな」とつくづく思いましたね。
Cが関西支店に赴任して、もう15年ぐらい経ちます。この間に奴の犠牲となった技術者は相当数いるでしょう。
先に書いたように、とにかく媚を売る奴なので、技術者たちからの評判は最悪である反面、客先や自社の上層部からの評判は良いと思われます。そうでなければ出世できなかったと思うし。

こうして考えてみると、A生命時代はA生命側はもちろん、自社側も敵で味方が一人も居なかったと言えます。前回の回想で書いたA生命側からの酷い扱いを訴えても、自社側(C)は一切擁護しないし、逆にA生命の肩を持つばかり。
生命保険会社ということで2度保険への加入を勧誘されたことがありますが、2度とも断りました。もう少し長くA生命に居たら、Cから加入を強要されていたかもしれませんね。これもA生命への媚売りの事例の一つになるでしょう。

なお、前々回まで回想した神戸時代の上司はCではありませんでした。神戸時代の上司は、Cとは違い、面倒見の良い人で、私はこちらの上司(以下、D)を慕っていました。
実は神戸の次の職場は、もともとDが担当する職場となる予定でした。ところがその話自体がなくなってしまい、急遽Cの担当する職場(A生命)へ行くことになったのでした。
あの時、Dがそのまま上司であれば、B社を退社するのはもう少し先だったかも。本当に運が悪かったんですよねぇ。

ネタが沢山あるために極めて長文になってしまいましたcoldsweats01それだけCに対する恨みが強いと思ってください。

A生命時代の回想は今回で終わりです。A生命には半年しか居なかったので、思ったよりネタが少なかったのかも?
次回はB社時代の総括です。今回糾弾したC以外にも、嫌な目に遭わされたB社の社員が複数いるので、そいつらを徹底的に糾弾してやりますsmile

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2018年9月24日 (月)

2018年2度目の帰省終了

本日、夕方に大阪に到着。本年2度目の帰省が終わりました。
今回も親族や同級生との再会がありましたが、話題はやはり地震。誰もが「停電の影響は甚大だった、改めて電気の大切さを知った」と言っていました。
親族や同級生の被害は最小限だったとはいえ、受けたダメージは大きいものです。地震の怖さを実感する帰省でした。

そもそも今回の帰省のメインは、2年前に亡くなった実父の三回忌です。しかし、二週間前に大地震が発生したため、すっかりそちらへの注目度が下がってしまいました。
もっとも、三回忌は無事終わりました。親族だけのこじんまりとした回忌でしたが、故人を偲ぶことができたと思っています。

関西空港に着いた瞬間、汗が噴き出ました。やっぱり大阪は暑いですねcoldsweats01
とはいえ、北海道もそれなりの暑さでした。帰省二日目(21日)の昼間に外出する機会があったのですが、この時も汗が噴き出ましたから。

自宅に着いて郵便受けを見ると、発売が遅れていた道民雑誌「クォリティ」(北海道内のみで販売されている月刊誌)が届いていました。少しですが、地震のことが書かれていました。今月号は最小限の記事でしたが、来月号は地震の特集記事が載るかも?と思っています。それを見たら、また胸が痛くなりそう…。

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2018年9月14日 (金)

回想:某生命保険で働いていた頃①

かつての職場を回想する連載(?)第二弾です。
今回からは某生命保険(以下、A生命と呼称)系列のIT企業で働いていた時代を回想します。前回が神戸と地域名を書いていたのに対し、今回は地域名は書きません。これを書くと、職場がほぼ特定されてしまうので…。
というわけで、どの地域かは皆さんの想像で判断してください。

A生命へ配属されたのは、前回回想した神戸の職場が終わった後でした。
神戸が交代制だったのに対し、A生命は日勤でした。これについては、私自身が強く日勤を希望したからです。
配属当初は「やっと日勤に戻れた」と喜びましたが、それもつかの間。ここはここで非常に悪い労働状況と環境だったのです。
まず残業が多い。というか、おそらく残業が多いから、自社(つまり自分の所属会社)はこの職場を配属先に選んだのでしょうね。毎日終電とまではいかないけど、夜9時10時の退社は当たり前でした。一度も休日出勤の機会がなかったのは救いでしたが。
業務はA生命のシステム運用管理です。ここでのメインの作業はとあるプログラムの作成・修正ですが、プログラムの仕様がA生命独自のものとなっており、これが非常にわかりづらかったです。他にジョブのスケジューリングなどもやりましたが、これも非常にややこしく、数ヶ月経っても作業を間違えるぐらいでした。単純に自分の覚えが悪かったというのもありますがcoldsweats01

この職場では作業は原則2名(確認者と作業者)で行います。最初は作業者から始まり、経験を積んで、一定のレベルに達すれば確認者になれます。
で、私と組んだ確認者が最悪。確かにその職場では先輩にあたるとはいえ、私の方が年齢も社会人経験も上、しかも所属会社が違う。にも関わらず、でかい態度を取ってました。普段は敬語なんですが、機嫌が悪いとタメ口になります。この接し方がとても不愉快でしたね。そいつは身体が大きいので、ひそかに「タメ口フランケンシュタイン」と呼んでおりましたbleah
この職場には、曲者経営職もいました。そいつはマネージャーなのですが、その割に物事を知らないし、了見も狭い。面談の際に、「趣味は?」と聞かれて「読書」と返したら、「その趣味だったら友達いないんじゃないか?内向的な性格なのでは?」と聞いてくるような野郎でした。対するそいつ自身はスポーツが趣味なので自分は外交的な性格と思い込んでおり、典型的なインドア派を馬鹿にするアウトドア派だったと言えるでしょう。
他に機嫌が悪い時は机をぶっ叩いたり、引き出しを乱暴に閉める年増女もいました。いくら機嫌が悪くても、普通はそんなことしないし、不機嫌を周囲に悟られないようにするのが社会人でしょうに。おばはんが出す音で周囲が迷惑してることに何で気づかないのか。今思えば、それらの行動をしてきた時に「うるせえ、ババア。迷惑なんじゃ、静かにせいや」と言ってやればよかったかも?ま、それをやったら即座に職場を離れなければならなかったでしょうがcoldsweats01
もう一人、余計なことを言ってきた奴もいました。この職場の勤務最終日に「君はもっと趣味の合う友達見つけた方がいいよ」と言ってきたのです。「最終日に何でこんな余計なことを言ってくるのか。別に友達少なくて寂しいなんて一言も言ってないのに」と思ったのは言うまでもありません。
この職場、一言で言ったら「教えなくても理解しろ」みたいなところがありました。初めて聞いたことでも、「何でそんなこと聞いてくるのか?わからないのか?」という態度を取られることが何度もありました。

そういう労働状況、環境だったからか、やはり離脱者が多かったです。A生命側から戦力外通告されて離れた人員(これ実は私ですがsweat01)もいれば、自主的に離れた人もいるはずです。
在籍したのはわずか半年間でしたが、その間でもしょっちゅう人が入れ替わってましたね。
すでに離れてから10数年が経過し、自分が接した連中のほとんどはもうその職場にいないでしょうが、今も人の入れ替わりは激しいのかなぁ。

この記事を書き始めた当初は、そんなに文章は長くならないだろうと思ってましたが、いざ書き始めたらとても長くなってましたcoldsweats01まぁ、それだけネタが沢山あるということですよsmile

次回は、この職場時代の自社の対応について書きます。この時の対応が後に退社を決意することになるのです。

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2018年9月 6日 (木)

台風の二日後に大地震発生に動揺…

今朝方、北海道を襲った大地震。
最初に知ったのはスマートフォンで見たネットニュースですが、その後テレビをつけると予想以上の被害状況に衝撃を受けました。
すぐに故郷・滝川市にある実家の母親、札幌市に住む姉一家と連絡を取りました。幸いに両者とも無事ですが、停電の影響で生活に支障が出ております。
実家は今も停電が続いており、全くテレビやインターネットが見れないため、現状が分からない状況にやきもきしているようです。

地震そのものも衝撃的ですが、北海道全域で停電したというのが最も衝撃的ではないでしょうか。なんせ北海道電力の創業以来、初の事態だそうですから。
完全復旧には一週間以上かかるとのことで、こちらも懸念しております。

昨日の記事で、台風による多大なダメージを負った関西空港から飛行機に乗れないことを懸念していると書きましたが、まさかその翌日に大地震が発生して、北海道全域が停電するとは思いませんでした。
関空がもうすぐ復旧しそうなのに対し、北海道の新千歳空港が復旧するのはいつになるでしょうか。2週間後の帰省までに間に合わなかったら…と思うと、気が気でなくなります。

今年は本当に自然災害が多い年ですね。いったい何の因果があるのか…。

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2018年8月31日 (金)

回想:神戸で働いていた頃/番外編

先週で一旦執筆を終えると書いた神戸の職場の回想ですが、ふと思い出したことがあったので、番外編として急遽執筆させていただきます。終わったんじゃなかったのか?と突っ込まれそうですがcoldsweats01
実はこの職場(金融機関・A社のシステム運用)に一度職場をクビになったにも関わらず、また戻ってきた人物(以下、Fと呼称)がいたのです。
なぜ戻ってこれたのか。これはちょっとわかりづらい説明になりますが、Fは一度転職しているのです。つまりA社の案件をクビになった際の所属会社(G社)と、戻ってきた際の所属会社(H社)が異なるのです。

戻ってこられたのは、たまたまH社にてA社の案件の人員募集があり、そこにFを割り振ったことが挙げられます。また、H社がFの過去(=A社の案件をクビになっていた)を把握していなかったことや、FがA社をクビになっていた事実をH社に伝えなかったこと、更にはA社の案件の委託元の会社がC社→D社に変わっていたことも幸い(?)したんですね。委託元がC社であれば、Fのことを知っているので、割り振られた段階で拒絶できていたでしょうから。

この事実が発覚したのは、A社からD社にFについて伝えられたのがきっかけです。本来ならば割り振られた段階で、自分はA社をクビになっていたことを伝えるべきだと思うんですが、Fは何とも思わなかったのでしょうか。少なくともクビになった職場でもう一度働こうとはまず思わないと思うのですが…。
D社についても、なぜ事実が発覚した段階でFを切らなかったのかと思います。この時点で切っておけば、後述するFが掛けた大迷惑を回避できたのに…。

実際にFの働きぶりを見ていると、クビになったのが納得できました。とにかく人の指示に従わない、そのくせ勝手に作業を行う。当然のごとく、作業ミスも多かったです。
この職場での作業は原則2名1組で実施します。一人は作業者、もう一人は確認者で、作業者は確認者の指示を受けて作業をするのですが、Fはなぜか指示を受けても作業をしないんですね。例を挙げれば、確認者である私が「はい、エンターキーを押してください」と言っても押そうとしない。なのに、後ろで見ているA社の職員が押すように言うと、それに従う。全く持って意味不明な行動ばかりしてました。
他では、こちらの指示がない限り、やるべきでない作業を独断で行ったこともありました。それが作業ミスとなり、連帯責任となった時は、やりきれない思いでいっぱいでした。
Fと作業をしている時は、「何でこっちの言うこと聞かないのか」とずっとイライラしてました。Fの方が10歳ぐらい上なのですが、あまりにもこちらの指示に従わないため「早くやれや!」と命令したこともありましたね。

ま、こういう無神経かつ図太い人間だから、一度クビになった職場にも平気で戻ってこれるということなのでしょう。本来ならば、クビになった職場に戻ってくるなんてありえませんからね。
私がこの職場を離れると同時にFも離れましたが、どうやら職場だけでなく所属元であるH社も離れたようです。要は「所属会社もクビになった」ということです。

今も働いている職場で周囲に迷惑を掛けまくっていると予想されます。奴に関わった人々が本当に気の毒ですねー。
もう引退して隠居した方がいいです。まだ現役の年齢ですが、奴が働き続けると同時に迷惑を被る人が沢山出てしまいますから。

完全に余計なお世話だけど、あえて進言します!世の中のためにも。

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